35歳主婦が挑戦する勇気

こんばんは。
YUKAです。

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私は小学4年生の時に陸上競技に出会い、小学6年生の時にハードルに出会いました。

そこから現在35歳。

妊娠・出産の約2年間は陸上競技から離れましたが、また産後復帰を果たし現在に至ります。

2018年の地元国体に向けて企業に勤めながらトレーニングをさせていただきましたが、結果タイム順で9位。

人生で一番頑張ったトレーニングの結果が『オーバートレーニング症候群』だったのです。

実際、オーバートレーニングだったと思います。

400mハードルという種目をしっかり走り切るには、400mの選手と練習するのが大切だと感じた私は練習パートナーを求めて、平日は仕事、土日は県外に自分一人で運転し強化練習を行う日々。

もちろんその時は練習量が多ければ多いほど良いという考え方により、週6日練習。

1週間で月曜日しか休みがなく、その日は8時半から17時40分まで勤務するため心と体を休ませる時間がほとんどありませんでした。

(練習がある日は8時半から16時勤務でした。)

今思えば失敗したな~と思っています。

休むことも練習!ということに気づいていたならば、週2日休むとか、土日のどちらかを休むとかすればよかったのですが…。

国体で優勝しか考えていなかった私は、強くなる=練習量としか考えられなかったのです。

そうして迎えた国体。

結局、心も体もボロボロのまま迎えてしまったのです。

ゴールした瞬間、自分の目標が達成できなかったこと、応援してくれた方々の期待に応えれなかったこと、いろんな気持ちが溢れてきて、『申し訳ない』という言葉しか出てきませんでした。

その日まで頑張ってきた自分を褒めることもせず。

そして、その日から私のフラッシュバックが始まったのです。

日常生活でふとした瞬間に国体を思い出し、心が苦しくなったり、泣きたくなる日々が続いていました。

時には泣いたり、なんなら『泡となって消えてしまいたい』とまで思ってしまったり。

当時聞いていた曲も聞けず、写真を見ることさえもつらかったです。

国体で引退も考えていましたが、このまま終わっていいのか?と考えた時に、次は自分のために走ろうと思い、2019年の全日本実業団をゴールと決めて1年間続けることにしました。

ところが、2019年の3月末。
シーズンイン間近で、ウェイトトレーニング中に腰を怪我し、そこから坐骨神経痛を発症。

絶望でしかありませんでした。

もちろん、4月の織田記念、6月の布勢スプリント、日本選手権と全国大会に出場させていただきましたが、すべて予選落ち。

その中でも、日本選手権では「悔しい」という気持ちにならず、選手としても色んな意味で『終わったな』と思ったのです。

そして8月に控えていた第1回ナイトゲームズ、9月の全日本実業団と、練習もままならない状態で結果は目に見えていて、走ることが怖くなってしまいました。

大好きだった『走ること』が、大嫌いになりそうで。

そんな時に妊娠が発覚。

正直、運命だと思いました。

当時はもちろん色んな意見をいただきました。

私もそのご意見は重々承知の上でしたが、自分の親が喜んでくれなかったのが一番つらかったです。

今は和解してますけど。

そうして一時期陸上から離れて過ごしていましたが、妊娠、出産を経てもフラッシュバックは治らなかったのです。

ある日、妊娠中に『全日本マスターズ』が地元で開催されるというポスターを目にしたのを思い出しました。

この全日本マスターズ、実は2020年に地元で開催だったのですが、コロナで延期に。

出産が2020年3月で、9月に全日本マスターズが開催される予定だったので諦めていたのですが、2年後の2022年、今年開催に変更になったのです。

「同じ会場で楽しく走ったら思い出が上書き保存されてフラッシュバックが治るのでは?」

という一筋の光が見えたのです。

これは運命ではないか?

と思い、旦那にお願いして陸上競技に復帰。

当時は最終目標が『地元開催の全日本マスターズで優勝すること』でした。

復帰後初戦、出産から約1年後のこと。

100mハードルで14秒73。

高校生の子に負けて2位。

その結果を聞いたある方に「たいしたことないな。」と言われたのです。

産後1年で100mハードルが14秒台って十分だと思ったのですが、周りの方の期待がさらに上を行っていたようです(笑)

このままではせっかくやらせてもらっているのに中途半端に終わってしまう!!!!

と旦那に相談し、週2回のトレーニングを週4回に増やしてもらうことにしました。

やるからにはしっかりやらないと。

そこから少しずつ記録が伸びて、2021年は風に恵まれない1年でしたが、北陸選手権で2位、最後の試合ではようやく13秒台と、結果を残すことが出来たのです。

そして、全日本マスターズに向けて長いキツイ冬季練習を乗り越え、2022年シーズンイン。

4月の初戦で追い風参考ながらも13秒85。

13秒台でシーズンインしたのが人生で初めてでした。

そこから県内の試合はなるべく出場して、5月の強化大会で13秒55という記録を出し、まさかの日本選手権出場権を獲得。

もちろん最年長です。

その強化大会が5月22日で日本選手権が6月10日だったので、全国大会で戦う準備ができず。

日本選手権の予選のスタートでコケて13秒55。

その時、

「悔しい!!」

って思えたのです。

35歳の私が(日本選手権出場時は34歳(笑))、出場できたのでもありがたい話なのですが、自分の走りが出来なかったことがすごく悔しくて。

多分3年ぶりの日本選手権の空気にのまれてしまったのかもしれません。

けど、得意なスタートでコケてしまったら自分の武器がなくなってしまう。

すごく、悔しくて久しぶりに試合で泣きました。

やっと選手らしくなってきたなと感じた瞬間でした。

それ以降、全国的にも活躍している選手と練習をさせてもらい、2022年の後半はナイトゲームズで5位、全日本実業団で6位と全国大会の決勝に進むことができ、さらに北陸選手権では優勝することが出来ました。

そして今年の記録13秒43はw35マスターズ日本新記録更新!

その他にも、100m、立五段跳びでw35マスターズ日本新記録を更新しました。

結局全日本マスターズは、2022年、今年開催予定だったのですが、さらに延期?中止?噂では2年後に開催の予定です。

しかし、全日本マスターズではありませんが、国体と同じ会場で開催された強化大会(5月22日)以降、ずっと悩んでいたフラッシュバックがなくなったのです。

多分自分の中で、楽しい思い出に上書き保存されたんじゃないかな?と思います。

じゃあ、やっぱり宣言通り今年で陸上辞めるの?

と思いのみなさま、実は2023年のシーズンに向けて再出発しました。

つまり長いキツイ冬季練習に入り、現役続行いたします。

やめるやめる詐欺たくさんしてすみません。

その理由は

①しっかり準備をして日本選手権に臨みたい

②日本スポーツアンバサダーに就任できたため

③全日本実業団が10回記念

④娘に自分が全国大会の決勝で走っている姿を生で見せたい

⑤全日本マスターズに出場したい

何よりも、まだ記録を伸ばせる自信があったからだと思います。

自分自身の可能性はチャレンジしてみないとわかりません。

来年八方塞がりなので、うまくいくかはわかりませんが今年陸上から離れたらきっと将来後悔すると思います。

過去は変えれないけど、未来は変えることができるので、一度きりの人生を満足いくまで楽しみたいと思います。

それが今は陸上競技であって、これから何かほかのものを見つけるかもしれません。

それが指導だったり、仕事だったり。

しかし、今私が挑戦していることは必ず将来の糧になると信じているので、長くキツイ冬季練習も頑張っていきたいと思います。

35歳主婦。

何かに挑戦することにはすごく勇気がいることですが、宝くじを買わないから当たらないのと一緒で、何かを始めないと何も変わらないかな?と。

誰に何と言われても、自分の人生は自分で決めるものだし、応援してくれる家族がいるから心強いです。

家族の応援に応えれるように、一生懸命最後まで走り切りたいと思います。

やめるやめる詐欺はしばらくお口チャックにしておきます(笑)

皆さんにとっても、素敵な人生でありますように。

YUKA

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